医療法人社団百子会 やまな病院

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理事長のアトリエ

第15回「揺れる判官びいき —数年の旅から源平を偲んで—」 2005
3.22

結婚40年を記念して、家内と新緑の東北へ旅して間もなく3年になる。これは、私の処女作で蔵王の麓にある上山温泉の名月荘で詠んだ。

「はるばると訪ねし旅のかひありて心和める名月の宿」

私が大学生の頃、上山温泉近くの、とある家庭へ滞在して、東北弁を懸命に習ったものだが、その家庭の長男が私と同年で意気投合した。いつしかお互いの音信は不通となっていた。東北弁を聞くと、彼を連想することがあったが、この記念の旅で50年振りの邂逅を果たした。

その時に平泉の地を訪れ、藤原氏三代の盛衰と共に、源義経と弁慶にまつわる幾つかの逸話が残されているのを知った。「弁慶の立往生」など、かすかな知識はあったがその現場に立った時には、義経、弁慶の最後にやはり胸詰まる思いがしたものだった。

日光から更に遠く奥深い山間に湯西川温泉という秘湯がある。昨年秋、邂逅を果たした友人ご夫婦に案内されてそこを訪れた。折悪しく台風23号接近中で、強い風雨の中を宿に着いた。古くはない木造の建物は、深い雪から己を守るために太い柱や梁が印象に残っている。

宿の名前は「平の高房」という。

部屋はすべて聞いたことのある平家の人々の名前が付けられ、我々の部屋は「重盛」と名付けられていた。良い湯とお酒と友との語らいに、満ち足りた時間は過ぎていった。そして、夢うつつながらも、ここは平家の落人の集落だったのか、西日本に多いといわれる落人の集落はこの辺りまでもあったのか、もっと北にもあるのだろうか、などとぼんやり考えさせられた時間でもあった。

雨上がりの翌朝、昨夜の疑問を確かめようと、出立までのしばしの時間に宿のご主人に話しかけてみた。「我々は平将門一族の末裔であろう。彼は乱に敗れて亡くなったが、将兵達は各地へ逃散して、一部はこの地へも住み着いたのだ。」しかし平将門の乱は939年、それは平家全盛の250年も前のこととなる。平将門と平清盛との関連はどうなのでしょうね、と尋ねても確たるご返事はなかった。

今年2月のある日、昨秋の旅で御世話になった友人ご夫婦を案内して、フグ食味旅行に出かけた。場所は昨年から予約しておいた料亭で、明治時代から連綿と続き、今は5代目の女将が取り仕切っている。

関門橋脚の直下、海峡の一番狭い所で、更に海に突き出した古い建物である。台風は床下からやってくるので昨年は3回も畳を上げました、との話もあった。フグ料理に舌鼓を打ちながら、目の下には時速8~10ノットの潮流、目前には壇ノ浦。話題は当然のように平家滅亡となった合戦に移った。

そばで世話をしてくれた80才近い給女さんは流石に物知りであった。まるで源平合戦を見てきたように、物語を子細に話してくれた。それによると、水軍に秀でる平家に利のある戦いであった。昔の戦にはルールがあり、それまで何回となく戦ってきた源平双方もそのルールを守ってきた。

所が、壇ノ浦の合戦では緒戦で源氏が不利であった。「義経の八艘飛び」はよく知られた故事であるが、それは鎧甲をかなぐり捨てて、船を伝って敵から逃げる姿を表した言葉だそうだ。そして不利な義経はついにそのルールを破った。船の漕ぎ手を決して襲ってはならぬというルールを。源氏方の漕ぎ手は防護盾で守り、平家方の漕ぎ手を襲って操船不能にした上、潮流が逆になったのを利用して敵陣深く攻め込んで勝利した。

「鹿も四ツ足 馬も四ツ足 鹿の越え行くこの坂道 馬の越えざる道理はなしと大将義経真っ先に」に代表される劣勢義経の奇襲作戦はその鵯(ひよどり)越えの戦い以来、ことごとく功を奏し、栄耀栄華を誇った平家は遂に海底に消えた。その料亭で行われた平家琵琶による平家物語の語りは、招待客も含めて涙を止める暇もなく、しばし重い静けさが余韻を引いたという。

話は変わるが、潮の干満の時間は日々40分程度遅くなる。

子供の時からそれを知ってはいたが、遅くなる理由を知らないまま現在まで過ごしてきた。その給女さんは即座に、「それは太陽暦と太陰暦を混同しているからですよ。」このご回答で、思わず膝を打ったものだった。話は尽きず、ヒレ酒もしっかり回って潮の干満、女性の生理、出産や息を引き取る時間との関係にまで及んで、気分もおなかも満たされた一夜だった。

その料亭は和布刈(めかり)神社の境内にあり、旧正月の午前3時頃、折からの干潮に海へ入り和布(わかめ)を刈る神事が執り行われる。「昔から旧正月の午前3時頃は干潮です。日本は太陰暦を使うべきです。」いささか興に乗った年増の語り口には妙に納得させられた気がしたものだ。

翌日、対岸の赤間宮も訪ねてみた。子供の絵本で見た竜宮城の門はかくやと想わせる佇まい。よく見ると本殿には菊の御紋章がある。8歳で入水された安徳天皇を祀ってある小さな神社境内を巡ると、日陰の一角に平家一門のお墓がひっそりとあった。どれも耳にしたことのある名前ばかり。小さな自然石に名前を刻んだだけの大変お粗末な墓石である。そばにある「耳なし芳一」の祠の方が余程立派である。

所で、壇ノ浦で入水した平家一門の女官達だけは助け上げられた。彼女達は女郎に身を落として生きねばならない運命が待っていた。そして、彼女らは安徳天皇の命日の前1ヶ月はお客を取らず、身を清めて神社へ参ったという。今も、お茶屋で支払う代金を「お花料」とか「お線香料」というが、その表現は彼女達の参詣から始まったと聞いた。お女郎のいない昨今、その慣習は今も連綿と続いているものの、昔のよすがは全くないそうだ。

その境内で、偶然見つけたのが、平氏一族の会の提灯である。社務所の周りにつり下げられていて、北海道以外は全部あるように思えた。フト、湯西川温泉の宿のご主人の顔を想い出した。平将門と清盛との関連はあるのかどうか、調べると面白いかもしれない。先での楽しみにしておこう。

大河ドラマは源義経。大変評判がよろしいと聞く。
世に、我が先祖は清和源氏である、などという家系はあっても、
平氏とは昨年まで聞いたことがなかった。
昨年からの旅で、私の「判官(ほうがん)びいき」は怪しくなっている。

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