第9回「浄瑠璃寺のお坊さん説話」 2002
11.21
平成14年11月の日曜日、良い旅ができた。
奈良・京都の県境に浄瑠璃寺という古くて立派なお寺がある。2回目の今回、初めてお坊さんの説法を聴いた。小田原説法とか。約30分間、面白く豊かな内容で、大勢が身じろぎもせず聞き入ったことだった。聴いたことを忘れないよう大急ぎでメモをとり、以下に備忘録とした。
これを読んで、では十三仏とは、観音様は。とにかく知らないことばかり。我ながらあまりの無知に恥ずかしさを通り越している。また聞きに行きたい。
如来と菩薩
人はみな過去世から薬師如来に遣送されて現世へ現れる。現世で、人としての生き方を教えてくれた釈迦の教えに従い、煩悩の河を渡って彼岸にある未来を目指して精進する。そうすればやがて阿弥陀仏に迎えられて西方浄土に至ることが出来る。このように精進する人を菩薩と呼び、その道程を菩薩道という。その道の最終目標を、煩悩の河を渡ると考えて向こう岸、彼岸という。彼岸にまで到達し完成した偉大な人格を如来(仏)という。如来は菩薩よりも人格的には上位である。
如来像は 装飾を持たない。特徴として、二重の頭(肉髻・にっけい);大きな徳と次元を越えた知恵を示す。曼網相を持つ;彼岸へ到達した象徴である指の間の膜。白毫(びょくごう);眉間にあり、普通の目では届かぬ所を見通す光を放つ。喉の三つの輪;円満な人格の完成を示す。菩薩像は 装飾を持ち、肉髻と曼網相を持たない。
明王と天
明王;菩薩の道の途中にある障害や悪魔を乗り越えて闘える逞しい力と知恵の仏が怒りの明王である。
天;菩薩の道を進む我々の前進を助け、護り、励ましてくれる「神々」を天という(吉祥天、多聞天など)。
薬師如来について
太陽の昇る東方にある浄土(浄瑠璃浄土)の教主である。
薬師如来は人間を「過去世」から現世に送り出してくれる仏(過去仏)で、
遠く無限に続いている過去の因縁、無知で目覚めぬ暗黒無明の厳正に光を当て、
更に苦悩を越えてすすむ為の薬を与えて送り出してくれる仏である。
現実の苦悩から立ち上がり、未来の理想を目指して進む菩薩の道を、
かつてこの世に出現して教えてくれたのが「釈迦」であり、やがて将来出現してくれるのが「弥勒」で、
両者共に現世の生き様を教えてくれる仏、「現在仏」という。
阿弥陀如来について
太陽が沈んで行く西方浄土(極楽浄土)の教主である。
理想の未来にいて、煩悩の河を渡ってくる衆生を受け入れ、
迎えてくれる来世の仏であり、来迎の如来という。
平安時代、仏教の教えとして、現世の行いにより、人は3種類に分けられる。
良い人を上品(じょうぼん)、悪い人を下品(げぼん)、中間を中品(ちゅうぼん)に分け、
更にそれぞれを3種類に細分した。合計9種類となる。
阿弥陀如来はそれぞれの人の分に応じて、来世へ導いてくれる、とした。
現世の人は自分がどこに属するか分からず、
逆に如来(仏)様を9種類置いて、まとめてお祈りできるようにした。
これが浄瑠璃寺に9体の如来がある理由である。余談だが、上々、下の下、上品、下品などの言葉はここに由来する。
以下、続く。