第1回「理事長のアトリエ」 2000
10.15
この度、この病院のホームページを作ることになりました。
毎日数万カ所のホームページが作られているそうですね。その中の一つという気楽さもあります。趣味性の強い個人のものとは多少違って、病院であるが故に、いささか堅苦しい部分があるのは承知の上で始めました。
ホームページ担当の渡邉隆一君は放射線技師で、彼の子供の時から知っています。フトしたご縁で共に仕事をするようになり、もう半年が過ぎました。ホームページを作る過程で何かと注文をつけましたら、「理事長のアトリエ」欄が作られました。「理事長のアトリエ」という名前の由来は、病院には高名な画家の日展入選作品や私淑している先生の絵、更に高名な書家の書などとと共に、私の趣味の一つである絵を方々に掛けてあるところから名付けられたと理解しております。
絵を観るのは好きです。そこに理屈はなく何となく好きです。
わざわざ遠方まで展覧会を観に行くほどの情熱はなく、近くとか何かの機会のついでに、といった程度です。
私は戦後のどさくさの昭和23年に中学校へ入学しましたが、当時は「図画」という教科があり、担当のO先生は軍服に戦闘帽、叱るときには頭の先から軍隊調の声が出ていた記憶があります。O先生は校長生活を最後に退職なさり、数多の会のお世話、後進の指導そして絵の制作など多忙な生活を送っておられました。
今から17、8年前のこと、「山名君、絵を描け。教えてやる」、と申されて弟子入りしました。「図画」しか描いたことのなかった私が、毎週1回、夜数時間かけて教わった時の心の開放感は忘れられません。
「絵」以外に沢山のことを教わりました。この勉強会?は約10年余り続きました。共に時間を過ごした方々の中で、同じ医学の先輩である故星島俊彦先生の絵は、先生の温厚な性格そのままの重厚なバランスの取れた色調で、お手本にしていました。
故西山 保さんの手慣れた手法、故上 輝夫さんの赤色の空から描いて行く発想、須藤三男先生の速筆など、個々の方々の一面を知ることができました。
「絵」は不思議なもの。私には理論や持説などあろうはずもなく、唯々感覚と如何壊すかを念頭に、結果として何ら進歩もなく十年一日を過ごしています。
次の機会からは「理事長のアトリエ」という名前に拘束されず、折に触れていろいろな雑文も加えて行きたいと思います。(2000.10.15)