第2回「目は口ほどにものを言い」 2000
12.14
昨年、ある外国の人と交渉しなければならない事があり、今、盛んに行われている電子メールでのやりとりをした。言葉の壁という大きなハンディもあったが、交渉の過程で、依頼した伝言の伝わり方に行き違いがあり、この話はご破算になって苦い思いをしたことであった。ある時、高名な眼科医である渡辺好政先生にこの話をした所、即座に以下の数
字を示され、直ちに文献のコピーが送られて来たことに恐れ入ったことであった。
情報の伝達には無意識の内に五感が動員されて、相手を観察しつつ理解をより深く、正確なものにしようとしている。相手の目を、顔元を見ながらそれが「裏腹」なのかどうか、好きなのに嫌い、その逆のときなど、言葉だけでは理解出来ない部分を補っている。
この感覚はコンピューターには不可能な技である。フロイトという高名な学者は、「人は正直である」と言っている。嘘をまことしやかに言っていても、体のどこかで嘘をいっている、というサインが出ているという。このことは言葉そのもの以上に感覚で理解する部分が大切なことを意味している。
伝達手段にはいろいろあるが、電子メールの隆盛に代表されるように、この所、文書による伝達の比重が次第に多くなっている。これが逆に誤解を生む最大の原因になっているのは皮肉なことだ。にもかかわらず、従来もこの手段が重視されて来たし、将来もこの傾向は一層拍車がかかるに違いない。
所で、情報伝達において、受け手は相手の言っていることの55%は視覚で判断すると言われている。表情、目の動き、身振りなどからである。又、声の調子や早さ、高低などが理解度の38%を占め、残る言葉そのもののや内容によって伝わるのは僅か「7%」に過ぎない。
今や、世界中がこの7%による手段に明け暮れているようだ。(2000.12.14)