第5回「騒音公害」 2001
3.7
「静かさや岩にしみいる蝉の声」
ある日、深夜にテレビを見ていたら、奥の細道にちなんで、この句が作られた背景を放送していた。しばらく前からここは騒々しい土地柄だということを意識するようになっている。
もっとも、交通量の多い道に面して住んでいるためもあるが。休日の空からの広告、早朝の告別式の案内放送、深夜の火事のサイレン。外へ出ると駅や電車の中、エスカレーターの側などで、案内や注意の放送が流される。お店に入ればけたたましい音とテーマ音楽の集中砲火を浴びて、洗脳される様な気分になる。
更に言えば、昨今一段と強烈になったテレビコマーシャル。とにかく騒々しい。今年の初め、倉敷市市議会議員選挙の間は朝8時から夜8時まで絶えず叫び声が聞こえてきた。数台の自動車を連ね、目立つ色彩の制服を着て、窓から出した手を振りながら誰ともなく挨拶をしている。
ゆっくり走るので、道路の渋滞を引き起こす原因にもなった。輪をかけるように、選挙事務所をねらった石焼き芋と夜泣きそばの電子音。
誰かが面白いことを言っていた。立候補者宣伝カーと深夜のバイク騒音は多くの共通点があると。
- 相手構わずの自己主張で、大きな音を出す。
- 派手な服装をしている。
- 交通の流れを妨げる。
- 手を振ったり色々な光を出す。
- 単独では善良な市民である。
- しばらく我慢していると遠くへ去る。
これでは警察も取り締まれまい。
シーンとした、という表現も静けさを表す音の類なのか、それとも静かになってから聞こえてくる耳鳴りなのか。考えてみれば、そのような状態をしばらく体験していないような気がする。