第12回「280SL」 2001
11.18
写真が見えましたか。あの自動車はカッコいいでしょう。
1969年のメルセデスベンツ280SLという車種です。
この車のエピソードについて、長くなりますが、お話ししましょう。
多分昭和44年頃、当時、トヨタはクラウン、日産からはグロリアといった高嶺の花の車が出始めた頃で、それら一台の価格は1年分の給料でも無理でした。私は当時、大学病院にいましたが、担当患者さんでこの車に乗って入院した人がいました。その車を見た時の、いわばカルチャーショックは今でも記憶にあります。
ある時、一度ステアリングを持たせてもらえないかとお願いしました。ところがいとも簡単に、何時でも好きなときにどうぞ、とキーを渡されました。以来、何回かハンドルを持ちました。
当時、岡山、玉野間の国道30号線が出来たばかりで走る車もまばらでしたが、前を走る車が避けてくれて、道の真ん中を飛ばしたことでした。その時の印象は余りにも強烈で、世の中には桁違いの性能と乗り心地の車があることを思い知らされました。ちなみに、この車の価格は当時の日本の最高級車の約10倍というものでした。
昭和47年頃、仕事も順調に推移していた時、悪魔のささやきが聞こえてきました。「あの車が欲しい!」その頃の私の車はスカイライン2000GTで、お門違いもいいとこです。考えあぐねた末、くだんの患者さんの御家族に、その自動車を分けて頂けないかと申し込みました。
新車にはとても手が届かず、既にモデルチェンジをしていましたから。所がいとも簡単にいいですよ。では、しっかり整備してお渡ししましょう、とのことで楽しみに待っていました。
所が何たる不運、その自動車を整備士が壊してしまって廃車になったとのこと。
言葉に言えないくらいがっかりしました。
夢を何とか実現すべく、方々を探してやっと見つけました。昭和48年のことです。自動車整備工場を経営している弟と一緒に、名古屋へ見に行きました。当日は生憎の雨。雨の中での試乗は勘弁して下さい。弟は止めよう、私は折角来たのだから云うことを信用して買いたい。購入しました。
以来、いろいろと手をかけました。ドライブで最も遠くは長野県の八ヶ岳でしょうか。帰り道、ワイパーが故障して80km以上で走らないと前が見えなかったのも懐かしい記憶です。近くの西村モータースのお兄ちゃんにはしばしばお世話になりました。
驚くことは消耗部品がちゃんとヤナセにあることです。こんな珍しい車の、しかも30年以上経過した今も。日本製では考えられません。それが私を今もメルセデスファンにした最大の理由です。
あの頃と比べて、自動車は大きく進歩しました。
今や車は機械ではなく意のままに動く物体で、その安直なことは比較になりません。
とまれ、世の中の車の安直さに反比例して、次第に乗る機会が少なくなりました。そして滅多に乗らなくなってしまいました。
でもあれに乗ると運転はおとなしくなります。
停まっていると、人が寄ってきては珍しそうに眺めたり、車談義が始まります。そのような世界は好きですが、逆にこの車は自分のものであってそうではない、との想いが出てきました。
丁度、江戸時代以前の刀剣と似た感覚です。
最近この車の専門業者が来訪され、日本に現存するディーラー車の中で最良の保存状態ではないか、との話があり、社会的責任を一層感じて大切に使って頂く人に渡す決心をしました。
若い時代の想い出が又一つ消えてゆきます。